「昆布と日本人」を読んで、昆布の収穫を見に行きたくなった

福井県にある昆布の名店、奥井海生堂4代目主人・奥井隆氏が書いた「昆布と日本人」(日経プレミアシリーズ)読了。新書ではあるが、読み応えがあり、図書館で借りて読んだのだが改めて購入し、手元に置くことにした。

昆布の語源はアイヌ語のKONPU。797年に書かれた「続日本紀」に文献に初めて登場する。

北前船によって日本全国に広まった。北前船のルートは別名「昆布ロード」と呼ばれる。軟水で利尻昆布のだしが出やすい上方を通った後に江戸というルートだったため、売れ残りの日高昆布が江戸に広まったのだという。確かに私の親も日高昆布を使っていた。

 

琉球(今の沖縄)を通じての、清国(中国)への密貿易によって大きな利益を得た薩摩藩はそれを倒幕の資金とした、というのも面白い。沖縄で豚と昆布をよく使うのも、中国からの使者を歓待するために彼らが好む豚肉と北海道から北前船に乗って薩摩から入った昆布とがここで出会ったから、という。

蔵囲昆布in Paris

実は昨年の5月、パリの三つ星アストランスで食事をした。
その時のふた皿目は、皿が置かれたのちに「ダシでございます」と目の前でダシが注がれたのであった。

これが実は「二年ものは使い易い。その他は個性が強すぎて、自分たちの料理には向かない」とシェフ、パスカル・ボルボが選んだものとこの本で知る。

奥井海生堂では「蔵囲昆布」を保管している。蔵囲昆布は、温度湿度を管理した部屋の中で何年にもわたって保存される。限られた浜の天然物で天日干しされたものでなければいくら寝かせてもより良くなることはないのだという。
奥井氏はフランスにそんな蔵囲昆布を数種持ち込み、ボルヴィックでだしをひき、シェフたちに味見してもらったのだたという。私がかつて住んでいた土地からはボルヴィックのふるさとピュイ・ド・ドームが見えたものだ。ボルヴィックは、フランス随一の軟水で知られる。

昆布漁の最盛期は今!

2年で命を終える昆布。7月の半ばから9月半ばまでのみ昆布漁が解禁となり、8月のお盆までに収穫するものが質が良いのだという。ちょうど今が昆布の旬ということになる。

 

まだその収穫を目の当たりにしたことがない。
いつか北海道の浜を回り、昆布の収穫を見てみたい。
この本を読んでそんな思いを強くした。