映画「ドストエフスキーと愛に生きる」を見て

予告編を見た時には、とくに見たいとは思わなかった。

でも、見てほんとうによかったと思った。

もう一度見に行こうと思った。

 

ドストエフスキーと愛に生きる

(この邦題で、もう私は見る気をなくしていた。残念。原題は「ある女性と5頭の象」という意味。そして5頭の象とは、ドストエフスキーの5大長編小説のこと)

激動の歴史の中を敵国の言葉を武器にして生き抜いた彼女が達した境地に感動

撮影当時84歳。

現役の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤー。

生まれ育ったロシア(ウクライナのキエフ生まれ)の小説を、その後移り住んだドイツの言葉に翻訳する。大学で教鞭をとり、二人の子を育てる。

 

スターリンの粛正、ナチスのユダヤ人迫害の時代に、父を友を亡くし、得意のドイツ語を活かして母とともに生き抜いてきた彼女。

 

「私は人生に大きな借りがある」

 

そう語る彼女の「借り」はなんなのか、映画の中で彼女は詳しく語ってはいない。

 

日々の料理を自らの手で作り、孫やひ孫がくればともに料理を作りテーブルを囲む。
エプロンやブラウスに丁寧にアイロンをあてながら語る。
「洗濯をすると繊維は方向性を失う」
アイロンをかけるという行為は、その糸の方向をもう一度調えること。
細かいレースを編む。ほどいてまた編みなおすこともする。
「テキストとテキスタイルの語源は同じ」

これらは、彼女の仕事「翻訳」という作業と重なる。

お気に入りのカップでお茶を飲む。

もちろん、日々、本を読む、深く、深く。

二つの言葉、文化の間を行き来し、言葉を選び紡いでいく。

母とともに逃れて以来、60年ぶりに旅したウクライナで若い学生たちに、翻訳とは、人生とはを語る。

「きっとあなたたちも、人生の中でいつか言葉を話しかける魚に出会うはず」

背中も曲がり、皺もいっぱいの彼女の、時に鋭く、時に柔らかい優しさを放つ眼差しと、その言葉に、人の魂の気高さをみた。

悲しくはない。
でも涙が止まらなかった(これを書いている今もとまらない)。

この映画が撮られた数年後、2010年に彼女は87歳でその生涯をとじた。
彼女の生涯を記録に残したヴァディム・イェンドレイコ監督に感謝したい気持ち。