「社会人になったら長い旅はできなくなるから」
テレビで学生が話していた。
そんなこと誰が決めたんだろう。
なんでそうでなくちゃいけないんだろう。
何のために働くんだろう。
周りには何もない、予定はとくにない、そんな旅が好き
「3週間の予定です」
「あら、短いのね。私たちは3ヶ月よ」
何年か前、家族でインドネシアの海辺の小さな村に滞在した。
夜になると電気もつかない。
一日に使える水は部屋ごとに貯められた水のみ。
トイレを流すのも、自分の体をあらうのも手桶で。
モチロンお湯など出ない。
実は羽虫が浮かんでいることなんぞもある。
車を降りてから20分ほどは荷物を持って歩いて宿につく。
もちろん周りに店などない。
与えられた食事をとるだけ。
あとは、海でぼ〜っとする、他の泊まり客や宿のスタッフとおしゃべりする、トランプやチェスで遊ぶ、読書する、それだけ。
家族全員で泊まり、全食事つきで一日数千円。
そんな旅が、好き。
とはいえ、シンガポール乗り換えで13時間もかけて宿につき、ここで3週間過ごすために来たのかと愕然とした、実は(自分で選んだのにねw)。それでも翌朝には、夜になるとネズミが走るような環境にも動じず、水着にTシャツを重ねただけで服の数も必要なく暮らすことにも、食べるものを選べないことにも慣れる。というより、選択の余地がない状況、裏返せば選択しなくていい状況を楽しめるようになるから不思議だ。
3ヶ月旅に出ることも北欧では珍しくないのだという
3週間滞在したのは私たち。
3ヶ月、は北欧から来たという家族。
ほぼ毎年3ヶ月休みをとることができるのだという。
そう珍しいことではないのだという。
夫婦ともに会社員。
その頃、私は毎年のように最低2回は2週間程度の旅に家族ででかけていた。
それでも日本では珍しいと言われていた。
子どもに、そのために学校を休ませることもした。
3週間は私にとっては久しぶりの長い休暇だった。
なのに3ヶ月、それもほぼ毎年。
人生、仕事に対する考え方、求めるもの、、、彼我の違いを改めて思った。
なぜ旅に出るのか
今、娘は学校の休暇を利用してタイを旅している。「タイに10日ほどいってくるね〜」という連絡をもらって、また無性に旅に出たくなってきた。
日常から切り離されたプリミティブな旅に。
そんな旅で思い知るのは、自分の考え方の狭さだったり、地球の広さだったり、時間の流れ方の違いだったり、何気ない日常の中にある小さなシアワセだったりする。
「あれがなくては、こうでなくては」
一つの社会の中に、恵まれた環境の中にいると、いつしか見えなくなってしまうことに改めて気づくための旅。
先入観や習慣に、自分でも気づかないうちにとらわれてしまいがちな社会人だからこそ、長旅が必要。そう思う。
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