毎回ちょうど食べきるだけ作ることができればいいのですが、なかなかそうもいかないもの。
とくに煮物系などはやはり多めに作った方が作りやすいし、おいしい。
どんどんたまっていく残り物。
ちょっとずつ余る料理。
何度も食べるのがいやで、結局捨ててしまうということもあるのでは?
「毎日いろいろ作っているみたいだけど、余らない?どうしているの?」
そう質問されることがここしばらく続いたので、こんなふうにしています、という、これが私の回答。
小さな器にチョコチョコ盛りつける
私は家が事務所を兼ねているので、打合せに自宅にきていただくことが多いのです。
昼をまたぐことになってしまう時は賄い食を作ります。
とはいってもイチから作ることはそんなに多くはなく、残ったものをアレコレ小さな器にチョコチョコ盛りつけてお出しすれば、「残り物」には見えません(ゴメンナサイネ)。
今日はフルコース!とお皿を贅沢につかうと「残り物」感がなくなります
品数たくさん定食風でも、フルコース風でも、共通しているのは皿数を使うこと。
洗い物の量が増えるのはちょっと気になるところではあります。
でもこれ、残り物整理にはもってこい。
ただ盛ればいいだけでなく、ちょっと彩りを添えるとか、何か新しく作って加えることが必要な時もありますが、器を贅沢に使うことで、「残り物料理をしかたなく食べています」という感じがなくなります。
だから、おいしく楽しく食べるために、洗い物は必要と考えて、好きな音楽でも聴きながらこなすことにしています。
子どもたちが大きくなると、一人でご飯を食べることも多くなります。
「残り物で済ませよう」という気持ちで食べるのと、「残り物だけれど、ちょっと工夫しておいしく食べよう」と思うのとでは、日々の繰り返しの中で、何かが違ってくるように思います。
一人の時だからこそ、意識をもって食べたいのです
たぶんまだ私が20代のころ。
何かの雑誌に(たぶんクロワッサン)、一人で食べる時が美しい女性、といったことが書かれていた、それが今も私を縛っています、いい意味で。
それから、一人の食卓の時も、いえ、だからこそ、きちんとセッティングしておいしく食べたいなと思うようになりました。
こんなことを書いていたら、数年前のランチを思い出しました。
ある人のオフィスで仕事をしていて昼時になってしまった時、バゲットをあたため、色鮮やかなサラダを作り、美しく盛りつけ、丁寧に珈琲を入れてもらったのです。スタイリッシュなランチョンマットを敷いて。
私だけのためにそうして食卓を調えてくれたことに心から感謝したものでした。
打合せの時にもペットボトルが一本渡されるだけで、急須でお茶をいれてもらうことすら珍しくなってしまったこの頃に、そのシンプルながら美しいランチは今も鮮やかに思い出されるのです。
と、ちょっと話はとびましたが、残り物も楽しくおいしく、品数豊富な食卓に!
工夫のしどころ、腕の見せどころです。
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