その「常識」を疑うことも大切

「常識」と思われていることは、本当に正しいのだろうか。
その「常識」が正しくなかったら、議論も対話も不毛になってしまう。
当然ながら、正しい解に至ることはできない。

でも、そんな議論や対話が少なくないのではないか、、、。
自戒をこめてそんなことを書き記しておきたい。 

ある人からきいた話。

「少子化は悪いことと決めつけて世間では話が進められるけれど、ある時、少子化は悪いことじゃなくて、少子化はしかたないよ、それを前提にどうしたら社会がよくなるのかという方向で話しあいをしたら、盛り上がったし、いろいろな案がでてずっと生産的だった」と。

いろいろな局面で、世間一般に広まっている「常識」を疑うことなく、それを前提に議論がすすめられていくことが少なくないように感じるこの頃。話している人たちがそれに気づかないということも問題だけれど、なんとなく薄々は何かが違うんじゃないかと思いながらも、その路線からはみ出すことなく話が進んでいくように感じられることもある。それがまた怖い。

わかりやすい構図にあてはめることで、整理できたかのように思ってしまい、問題の本質を見誤るケースもあるようにも思う。

コトをあらだてることを好まない日本人気質(?)なのかなと思うところもあるけれど、それではその先にまっとうな解は生まれない